memo

月に住みたい

悲しい感情の話

初めてお葬式に出たのは自分がいくつかはおぼていないが曽祖母のときだった。95歳と長寿だったので、お葬式といってもさめざめと泣く人はおらず、夜はお寿司がいっぱい。曽祖母の顔より、死んだ人の鼻に綿が詰められていることに興奮した(ヤバい)。小学校2年生の夏休み、山梨に来て東京の家を空けている間に母方の祖父が亡くなった。体が弱く大きい病気もした割に、80過ぎまで生きたのがびっくりと祖母は気丈だった。祖父の会社の部下だった人、とか、たくさんの背広の人が来ていてこれまたにぎやかだった。人が死ぬことについてなんとも思っていなかったが、なんでだかはわからない。みんなはじめは自分が死ぬことなんて知らないよね。

 

この記憶が祖父の葬式の前か後かはわからないけど、幼馴染のお父さんが亡くなって、お葬式に父と母が出かけていったのはよく覚えている。母の親友の旦那さんで、私の妹分のような女の子の父親だった。うちの父は仕事でほとんど海外だし、母も昼間はいなかったので鍵っ子で家に一人でいるのはふつうだったが、土日の夕方から出かけるなんて珍しいなあと思った。そのあと幼馴染に会ったとき、お父さん、将来私と一緒にビールを飲みたいって言ってたのにな、と寂しそうだった。今思い出すと悲しくて泣いちゃうけど、子供だったのでそっかあ〜とか言いながら自分の父親とそんな話したことないなあとか思った。このことがあってから、自分に色々辛いことがあっても、幼馴染より辛いわけないんだから、わたしが辛い、悲しいと思うことは罪だと考えるようになった。

 

私には母方にふたつ年上のいとこがいて、一時期一緒に住んでいた。二人してキモオタだったのだが、私は兄弟姉妹がいないことに慣れすぎていたのですぐ煩わしくなってしまった。明らかに成績が私より振るわないいとこを私の母は見下していたし、私もそうだった。いとこの父は転勤族で地方にいたが、彼女の成績が悪いからどうにかして適当に東京の大学つきの高校に入れてくれとうちの母に頼んだようだった。いや、無責任すぎてビビるんですけど?と思うけど、どうしようもないことに当時私の母も母の兄も離婚していたので、仕方なく協力体制にあったのではないかと思われる。オタクも血だが、対人関係も血だなあ。彼女は高校入学して少し経ってから東京に戻ったいとこの家族の家に帰った。私がいとこというとき、通常その彼女しか指さないのだが、実はさらに上にお姉ちゃんとお兄ちゃんがいた。お姉ちゃんは年が離れすぎていて、連絡先も知らないくらい。お兄ちゃんはグレていたらしいが、わたしが会うときは一緒にスマブラマリカーやらをやってくれる普通の人だった。私の家はゲームが禁止だったので、いとこの家に行く一番の楽しみだった。

高校一年生の夏、またしても山梨でぼけっとしていたところに急に電話が来て、いとこの兄が死んだから明日帰ると言われた。いまいちよくわからなかったが、母がこんなことになるんじゃないかと思ったなどとブツブツ言っていた。今日帰ると、事情聴取とかあるから、明日帰ろう、みたいな話で、まじでなんじゃそりゃと思ったけど、家で人が亡くなった場合は仕方ないらしい。いとこの兄は躁鬱だったの、気づかなかった?なんか変なところあったでしょ。とか言われたけどまじでなんとも、躁とか知らないのでちょっとグレてるんだ〜くらいにしか思ってなかった。グレてるって、あらゆるものを隠せる言葉だな。死因はよくあるらしいODで嘔吐してそれが気管に詰まってみたいなかんじだったそうだが、それを聞く前に電話が来た日が8月15日の祖父の命日だったので、絶対自殺じゃんとふつうに思った。え、そんなに祖父好きだった?!!?!とか思ったけど、後から考えたら法事を1日で済ませてやろうというアホが考えそうな優しい配慮だった。正直当時は、本気で先を越されたと思った。厨二病らしくいっちょ前に病んでたし、元気なキモオタだった割には不登校だったので、勝手に死なないかなあとか思ってた。それは今も思ってるんだけど、正直いとこの兄のお葬式の悲壮感を思い出すと、やっぱり親族に酷だなと思う。身内の前で泣いたりするのが本当に嫌いだったけど、人生で一番か二番目くらいに泣いたし、周りもみんな泣いていたし、身内の密葬なので寿司もない。逆に、こんな悲しいこと、なんでわざわざするの?ってかんじ。

悲しいしショックだったな。で終わればいいんだけど、なんかよくわからんけどいとこの兄が亡くなったあと、いとこの両親は元鞘に戻って再婚したんだよね。それがあってほんとうに捻くれた。当時私は親が離婚したのは自分のせいなんじゃないか?と本気で思っていたし、私がそう捉えてもしかたないようなことを平気で母は言うし、ストレスしかなかった。私が死んだら私のお葬式があるんだなあ、とかよく考えた。けど私にはいとこの家みたいに兄弟はいなかった。さすがに、叔父叔母が残った姉妹のために再婚したことくらいわかっていたので、なんにもならねーじゃん!!!と思った。切ねえ〜〜〜〜〜〜〜死にたいけど死に損じゃん?!!!ダル〜〜〜!!!みたいな。それより、年の近いいとこのことを羨ましいとまで思って、今じゃありえないけど。両親が離婚してびっくりはしたし、クソみたいな影響しかなかったけど、その時まで元に戻って欲しいと思ってる自分の感情にすら気づかなかった。だって、べつに父親死んでないし。悲しいことなんてない。幼馴染の方が悲しいから私は悲しくないと思っていた。けど全然違うじゃん。自分の力でどうにもできないことは、いくら泣いても、あまりにも悲しい。

いとこの兄のことはあんまり言ってはいけなかったので、当時のわたしは部活中に突然号泣し始めるなど、情緒不安定女として大変迷惑をかけた。私の父親にもこちらの家のことは関係ないのだから、そのことは言うなといわれて今もまだ言ってない。たまに、向こうのおうちの人は元気?と聞かれても、みんな相変わらずだよ。お兄ちゃんもまだニートだし。みたいな。そろそろニートじゃかわいそうだから就職したことにしてあげたほうがいいのかもしれないな。

 

でもここ数年で猫が2匹若くして死んだので、その悲しさに上書きされ、これらの記憶はブログのネタにできるまでなったのであった。合掌。