memo

月に住みたい

読書の話1

小学生の頃、本を読むことが楽しいと知った。分厚い本が読めるようになったのは、入学してすぐ引っ越した今の家のピカピカに新しいリビングで、母親が急にくれた「ハリーポッターと賢者の石」のおかげだった。それ以前に手に取った本は絵本とかセーラームーンのアニメの本とか、祖母に読み聞かせてもらった「オズの魔法使い」くらいなきがする。(ちなみにマイベスト絵本は「わたしのワンピース」と「マウルスと三匹のヤギ」と「○○のくまさん」シリーズ。)

賢者の石を初めて読んだ時のことはよく覚えてるんだけど、はじめの第1章の意味がまるでわからなすぎて多分3回は読み直した。なんか暗いし、先がすごい長そうだし、挿絵が全然可愛くないな...。でもなんとか最後まで読んだら面白くて、そのあと第1章をよんだら全部意味がわかった。それがとっても面白かった。わからない問題が解けるっていう感覚は、わたしにとっては算数を解くよりそういうかんじだなとなんとなく今でも思う。どうやらハリーポッターは続き物のようだったので、続きはまだなのかと親に催促した。

 

ハリポタ語りには突入しないんですけど、当時読んだうちのひとつに「はてしない物語」がある。読んだのは小2くらいだし、あんま覚えてない。家に装丁のめちゃくちゃ素敵な岩波書店版があるし、また時間あるとき読みたいな!くらい。(今暇だろうが)読んだことのない人はとりあえずwikiであらすじ読んで!て言いたいんだけど、なんつーか私の好きなもの全部ここからはじまってる?って気がするくらいいろいろ詰まっている。

 

〜〜〜〜〜〜ネタバレ注意〜〜〜〜〜〜〜

要素としては、本がストーリーの装置になってるとか、本の中の物語に入れるとか。ふしぎ遊戯はじめてみたのもこれを読んだ頃。この手のヤツは憧れたので当時一次創作で小説を書いていた私もまんま似た話をちょっと書いた。恥ずかしすぎるだろ。本の中で、主人公はどんどん元の世界の自分のことを忘れていってしまう。物語の中で世界を救うために強くなるのに、自分の記憶が消えていく主人公にまるで読み手だけが気づいているという事実にドキっとしてくる。わたしはまだ大丈夫とか考えながら読んでいってしまう。たしか主人公も世界も最終的になんとかなって、他にもこの本で冒険した人がいたし君達もそうだよ、みたいなオチだったような気がする。こういうちょっとしたパラレルワールドとか、夢のなか、みたいなのも良いよね。ドラえもんの「あべこべ惑星」、「時をかける少女」「パプリカ」とか...。

 

博士の愛した数式」とかは読んでないけど、最近まで消せるものなら記憶なんて全部消したいと思っていた。ネガティブすぎるのは性格か、嫌なことばかり覚えている脳、どっちが先なんだろうとよく考える。精神科医によると30歳まで脳は成長中らしいので、一応まだモラトリアムだが、随分生きるだけがやりにくい頭をしている。祖母が認知症と診断された時、脳の細胞が壊れると人は記憶がなくなる、もしくは記憶しておくことが難しくなる状態になると知った。なんとなく、なにかを思い出そうとするときとか、理解できないことを考えるとき、脳の中のなにかが外に出たいのに跳ね返っていくような感覚がある。ただ筋肉動かしてるだけかもしれないけど。第九の薪さんはいないし、少佐みたいに美人先生にお脳をいじってもらうこともないし、勉強もしてないからよくわからんけど、脳の細胞が足りてない気がするんだよね最近。自分にかなりの限界を感じている。齢二十七目前にして、割とショック。毎日ツイッターみてるせいかな?とか思ったけど、もしかしたら本を読んでないせいかと思う。19歳で大学に入ってかれこれ7年弱、読んだ本はhydeの自伝とハリーポッターの舞台の本だけ。お前読書好きなんじゃなかったの?

 

つづく