memo

月に住みたい

読書の話2

 

今日というか昨日、久しぶりに2011年頃まで更新してたブクログにログインできた。

ほんだな (815) - ブクログ

なんでログインできたかっていうと、IDが幸村だったから。あとパスワード何年も同じの使ってるよね(変えろ)

中高では図書室の利用が多い人には年間で借りた本のリストを配ってもらえたりして、けっこうモチベーションだった。最後の年はもらえなかったけど。今見ると全然大したものを読んでないし、ゲームとかCDとか登録してて痛い。多分当時の私は読書家というより、ただの児童書オタクなんだよね。三国志も脱落したし。

 

このブクログには相互フォローのアカウントがあるが、その持ち主はわたしのかつての友人Aさんである。なんで過去形かというと縁を切られたから。大学の、思えば今より病んでなかった?てくらいのときにいろいろ(書くか迷う)が積み重なってキレられて「絶交する」というのがもらった最後のメッセージで、ごめんとか送っても電話しても未読。裏垢()みたいなお互いと仲良し数人しかフォローしてなかったツイッターも、毎日くだらないトークを繰り広げたラインも、お互いタグ付けとかしてたインスタグラムも、全部ブロックされたので3年くらいもう連絡とってない。今考えると、正直わたしが7割くらい悪い。とっくに成人した年齢でそんなこと言われるとは、何よりその相手がAさんだなんて思っていなかった。あんなに合う人とはもう出会えないだろうし、社会人には友情を育む時間があまりにも少ない。中高大の10年間近く、理解しすぎたお互いが変化を許せなかったことが、私の過失とは別の、残りの3割だと思う。

 

 

私と彼女が仲が良いのは周知の事実だった。高校を卒業してからは特に、3人や4人で遊ぶということは少なくなった。地元が近いし、彼氏も一向にできなかった私とAさんは隙あらば連絡を取り一緒に晩御飯を食べた。普通の仲良しとは違うかも、と思ったのは高校も終わりになった頃だったかもしれない。一緒に街を歩いていると会話をしなくても次にお互いが行きたいところがわかったし、食べたいものもわかった。好きなものも似ていたし、共有した。Aさんは腐女子でも夢女でもなかったけどわたしをバカにしないし、漫画とゲームのオタクだった。私が映画をよく見に行ったのは彼女がかなりの映画好きだったからだ。人を型にはめるのは出会ったばかりの人がやることだが、彼女は私と同じAB型で、よく揃って変わり者と言われた。でも彼女は姉を持つ妹のくせに、得をすることに関してはとことん不器用で、全然妹タイプじゃなかった。その割にちゃんと有名大学に入ったし、サークルとかバイトとかも律儀に続けるところは、私との違いのうちの一つだった。

”普通の仲良しとは違う”って結構クソキモイ書き方だと思うけど、別に当時からそれを自覚してウキウキしてたわけでもないし、”ズッ友”とかあったけど、”親友”とわざわざ言い合うわけではなかった。誕生日プレゼントとかもそんなに力を入れていなかった。けどさすがに絶交されたときはエッ?てなったし、失恋&地獄(ぶっちゃけこれの愚痴を言いすぎたのも絶交されるにあたる積み重ねの一つ)から1ヶ月くらいしかったってなかったからめちゃくちゃ落ち込んだ。でも当時は今よりさらに若い恐ろしい脳を持っていたので、謝ったのに、ラインブロックされてたらなんにもできないじゃん!と一人逆ギレもしていた。(家も知ってるから行けばいいと思うんだけど、数ヶ月前彼女がそれを別の人にされてうざがっているのを知っていた)怖い。流石に半年ちょっとたったとき、共通の友達数人に経緯を話したところ、ある人はもう怒ってないんじゃないかな?と慰めてくれたりした。ここで私は許されようとなんて思ってないんだよね(バカか?)みたいなことを言っていたが、もう一人の友人になんかカップルみたいだね。とクソ興味なさそうにため息つかれた。

もちろんというか当然というか、彼女は読書家だった。ブクログを一緒に始めたのもそのおかげだし、いろんな本を読んで共有した。彼女は外国文学部だったけど、文学ってなんか思ったより人間セックスばっかしてんの多くてキツいよな…みたいな微妙な感覚も近かった。貸してもらった「蒼穹の昴」は、今まで読んだ本の中でも上位に入るくらい気に入った。

 

大学に一年遅れて入った私は忙しさとか、iphone買ったとか、なにかと理由をつけて本を一切読まなくなった。一応まだ読書家を自称したかったので焦って、浅田次郎の文庫とか、それは読んどかないとダメでしょの代表「罪と罰」とかいろいろ本屋さんで買って帰った日もあった。けど一切読まなかった。攻殻見てから絶対読むぞときめて数年経った「ライ麦畑〜」すら半分読んだところに表紙が折ってある。なんでかわからないけどぜんぜん本が読めなくなっちゃった。今もマジで読めない。急に読むことができなくなったじんわりした悲しさと、がんばれない罪悪感みたいなのが毎日の生活に増えてしまった。今わたしがやってるのは過去に読んだ他人の言語と文章と感情の消費であると虚しくなっちゃう。

 

わたしがブクログを見たのは多分6年ぶりくらいだけど、3年前くらいまでの更新があるAさんの読んだ本は就活とか、仕事とか、そういう類のものになっていた。きっと更新してないだけで、彼女は今も本を読んでいる真の読書家なんだろうなと思った。