memo

月に住みたい

下書き再利用

また今年も歳をとってふと、今になってやったことがないことというのは、できないというより自分が避けてきたことと同義かもしれないと気づく。もちろんやった上でできなすぎてやめたこともあるけど。

 

平成生まれらしく冷めたことを口に出しがちだが、実際わたしはかなりのお人好しで、人と人との境界線がわからず悩んでいることが多い気がする。

気にしていないように振る舞うのは得意だが、実はどうでも良い人にもどう思われているのかきになるし、友達以外どうでもいいと思いつつ、関わる人全員と仲良くできたらいいのにと考えることもある。自分で自分の理想の高さと欲深さと甘い考えに驚く。

かといって気分が乗らないときはすべてをシャットアウトしたくもなり、その自分を俯瞰している自分が同時に、またやってしまったと後悔している。そのせいか八方美人と思われる性格なのに、会社では私は人に好かれようとしているようには見えないらしい。これ言われて結構落ち込んだけど、おばさんに言われたことだからまあもうどうでもいいかな、、、。

特別1人に好意をアピールするという行動は、とにかく苦手で、やったことがないことに入るような気がする。目を合わせる、歯を見せるくらいにこにこしながら話す、リアクションを大きくする、相手のことを聞く、ポジティブに発言する等すべてにおいて自分の中のトラウマやコンプレックスが邪魔をしている。歯が茶色いとか。もう、なんで苦手なんだろうな〜ということを悩むこともなくなってきたので、解消していけばいいじゃんと思うんだけど難しい。

 

オタクは自分が好きと思うことにとことん時間とお金を割いて、考えて、好きを深めてひとによってはそれを二次創作にしたり、人と話したりしているものだと思う。こういう行動は自分に価値のあるものを自分自身のために与えることだけれど、精神世界の充実に近い。信仰心みたいなところがある。けど実際、現実世界でクリアしなければならないことを同時にこなさないと人間は自立できない。つらい。私は最近やっとこの事実に気づき、対処し始めたところな気がする。今までこれの言語化に悩んでいたんだけど、実家を畳むことになり部屋の掃除をしていたとき手に取った冊子にすげ〜〜うまく言語化されてる作文が載ってた。

通っていた中高一貫校には作文を書いて礼拝中にクラスの前、もしくは学年の生徒の前、最大規模だと全校生徒の前で読まされるというならわしがあった。嫌いな奴の考えを聞く時間があるようなものだなと思ったけど、みんな最低限の教養はあるので、意外と好きな時間だった。くそ女じゃん、と思ってた人たちも、想像もつかないいろんなことを感じて生きてるんだなあ〜と、わたしの心の広さはなんとなくそこで培われた気がする。どういう選考基準かは知らないけど、そのうちのいくつかが冊子にまとまっていたので、割と仲が良かった才女のものを読んだ。人は外側の自分と、内側の自分のバランスを取らないと存在できない。そのバランスが取れた時こそ、思春期の終わりを意味する。あるがままに自分を受け入れる。みたいなことが書いてあった。この才女、約10年前にこの結論に達してたのヤバくないか?とショックを受けながらその冊子を保存用ダンボールに入れた。

 

 

 

ここまでが2019年の5月に下書きしてあった分

 

去年のわたしへ

一人暮らしして転職してくそ暇とくそ忙しいを繰り返して今はくそ暇すぎてブログを書いてますよ。

めっきり書きたいことなくなったのでひどい文章は非公開にして適当にコスメのメモでも書くブログにシフトしていきたいと思いました。

 

文章ひどすぎてちょい修正しました(2/4夜)