memo

月に住みたい

歴史が好きな話

今思うと私は全く勉強が不得意だったがそれは認めず、やればできると願い、なんとなくそう周りも思ってくれているだろうと勝手に信じているどうしようもない生徒であった。(最近になって身近な友人からはお前は勉強は全くできなかっただろと言われて恥ずかしくなった)

好きな教科は日本史と公民。記録された人間の営みや社会のしくみや規則が何も知らない若い自分にとっては一番美しく、蓄えたい知識であると感じた。わけがわからない数式から一つしかない答えを見つけることより、広くて長い人類について知る方が魅力的だった。

 

歳を取っていくことはせつないし虚しい。肌も汚くなるし、節々が痛いし、目もすぐ疲れる。流行りのユーチューバーにも新しいアプリにもついていけない。あとまじで体重落ちない。

もともとリア充パリピを他民族として嫌悪していたにも関わらず、自分も2000年代初頭のあらゆるブームの一員であったふりをしてしまうのは恥ずかしいが、懐かしいという感情を共有することは自分の心を満たす方法の一つだと思う。

 

そんなことを言っておきながら実際は本当に生きている意味がわからなくなってしまっている。それはチャレンジすることや、継続する努力が極端に苦手な自分の性格というのもあるがそれだけだろうか。散々自分のせいにして心の自称行為を繰り返してきてしまい、流石にもうこれ以上自分を貶す言葉が見つからないし、多分飽きたな・・。

自分で決めたことは、自分で結果を背負うしかない。必ず自分に返ってくる。それをわかっていて少々無理な進学を希望してみたり、就職を先延ばしにしてみたりした。もしかしたら運良く、すべてうまくいくかもしれないと何度も思った。完璧な自分を想像することは得意だったし、半ばそうはならないとわかりつつ現実逃避を繰り返した。それでも、つくづく人に相談しながら何かをするのは苦手な性格だった。就活とか、みんなで面接の練習するとか聞いた時まじでびっくりしたな。結局自分に厳しくして特に得たものは無かった。まじでなかった。嫌な時間と経験が増えてそれが全部自分のせいだっただけじゃねーか。ウケる。こういうのって一人っ子だから前例を見ることができずにバカみたいに鉄の壁殴りにいっちゃったのかな、とか、やっぱり環境のせいにしたくなってしまう。柏木翼の妹になりてえ。

それを学んで今やっていることが迷惑かけまくって嫌なことから逃げて家で2ヶ月ぼーっとして親の金で引っ越すというビビるレベルで最悪な事態である。会社にはほんとすみません、死んで詫びたいけどそれも迷惑ですよね。

親には久々にわがままをいっている。でも大学進学のときとか、門限無くしてほしいときとか、死闘を繰り広げたのは母親の方だったっけ。いつも父親には割と軽くお金ないな〜お金くださいてかんじだったかも。母親はやばくて別に文章たくさん書けるから今日は省略。

これは周りで頑張っていて能力もある友人たちが心折れた時に思って欲しいから書くけど、バブル崩壊直後に生まれちゃったとか、高校時代の不況で大企業でもリストラ祭りとかのせいで自分が社会に出て生きていく社会そのものが信じられない不信感があるのは当たり前だと思う。(ただし私はその限りではない)

 

最近、自分の生きる意味はよくわからないけど、もし子供産むならこういうこと思っていいのかな?ってことが一つあった。わたしはほんとうに褒められた人間でも、娘でも、女でもないけど、自分の子にママのおじいちゃんはすごく頭が良くて、一人で中学から都会に出てお勉強して、戦争も行ったけどいい会社に入っておうちも建てて、ママはそのおうちのおかげで大人になったんだよ〜って言いたいな。おばあちゃんは当時の最高の奥さん像を絵にしたような奥さんだったんだって〜って。覚えてないけど、ママは孫たちの中で一番年下だったから、すごい可愛がってくれてたんだって〜みたいな。良いことだけ吹聴したい。こんなネットのよくわからないところに書くんじゃなくてね。でも自分の母親はその二人に育てられてなんかちょっと大変だったせいで歪んでいてわたしも歪んだから、実際そんなうまくいかないんだろうな。妄想激しすぎて自分に引く。その子は幸村精市の子ですか。

祖父はとっくに二人とも亡くなっているし、祖母も二人共施設に入った。ふと、戦争の話聞いてみようかな〜なんて思って東京大空襲の話をきいたり、疎開先のまずい芋の話とか、お兄さんが終戦後半年してやっと帰ってきた話とか、聞ける相手がいなくなるってすごく怖い。わたしは正義感だけが先行するタイプなので、戦争は嫌だし、自分より若い子もみんな大なり小なり身近な人の戦争体験を知るべきだと思う。なのにネットリテラシー必須のこの世の中、ネットで見た話、テレビの話、人から聞いた話は鵜呑みにせず自分の目で見たことだけ信じましょうなんていいながら、おばあちゃんから聞いた話なんだけどね〜って戦争の話とか年下の子にできないだろうなと思う。(機会もねえ)頭固すぎるし、そういうことではないような気もするんだけど、伝えることにどうやって責任を持ったらいいんだろう?ネット社会に揉まれてきたからこそ、常に人から疑われずになにかを伝える方法を知りたいし、信じられたい。

親子や、祖母孫という関係は、方法がなくとも信じられる存在ではあるのだろうと希望は抱いている。自分のことは棚に上げつつなのか、まだ可愛げのある娘なのかは考えたくない。

 

歴史に名を残すことに憧れたりはしなかったけど、女の人が子供を産んでなにかを伝えて子が育つということは小さな歴史の作り方なんだなと思うと、それが当然のように現代でできる人はすごいなあと思ってしまう。年齢も年齢なので、すごいにもしかしたら卑しい皮肉もあるかもしれないが、そこは置いておいて。

 

めちゃめちゃ脱線したけど、私が唯一語れる歴史はネット史とか、オタク史くらいでしょうもないので、人が人として人から認められる社会で生きることが自分の精神安定にも必要だから、なんとかしてがんばらなきゃなと思うのであった。苦しいけど、それができない自分を許す方法がやっぱりいまいち見つからないんですよね。結局他人を信じられないから大丈夫と声をかけてもらっても心に入ってこない。ゴミ〜!

 

次にこんなタイトルをつけたらちゃんと予想の通り新撰組平安時代について語ることを約束します。